【書評】ヨガで心と体の主導権は取り戻せるのか? by ヨガから始まる―心と体をひとつにする方法

ヨガから始まる

ヨガではありませんが、実は私、学生時代から週1〜2回ほど運動してます。

筋トレとランニングを中心に地道に続けてきたのですが、一向に体が筋肉質にならないんですよね・・・。ボディービルダーの様なムキムキで超重量感のある体を目指しているわけではありません。普通に引き締まった筋肉質で健康的な肉体を目指しているんですが、私のトレーニング方法が悪いせいか、あんまり体型は変わりません。

運動しなかった期間もありましたし、ストレスでうつうつとしていた時期もありました。なので、ずーっと欠かさず運動し続けてきたわけではありません。でも・・・、どう考えても、トレーニングに投資している時間や金額に対して、期待したほど肉体に効果があらわれていません

費用対効果全く無し。(苦笑

筋トレは「よし!はじめるぞっ!」と思って実際にやり始める『決断コスト』がべらぼうに大きいんですね。なので、だらだらと筋トレやろうかやらまいか悩みながら、深夜になってる…なんてこともありました。

もちろん、筋トレしたあとはスッキリするんですが、結局筋トレ後にたくさん食べちゃったりして、元の木阿弥的なことも多かったり・・・。

薄々気づいてたんですが・・・、おそらく、私には筋トレ合ってないんですよね。

理想を言えば、肉体精神も思い通りにコントロールしたい。主導権をとりたい。惰性に理性が屈服しないようにしたいんですが、なかなか筋トレだけでそういう目標に達することはできません。

どうにかこの精神と肉体を同時に鍛えて、自分自身を完全にコントロールできるようなトレーニングってないもんかなぁ?と、いろいろ探していたところ、「ヨガから始まる―心と体をひとつにする方法」という本に行き着きました。ヨガは単に肉体だけでなく、精神と肉体を同時に鍛えるトレーングであることがわかりました。

今回は、ヨガと私が最初に出会った一冊「ヨガから始まる―心と体をひとつにする方法」の書評を書きましたので、よろしければ参考にしてみてください。

自分を丸ごと肯定する

全ての出来事や状態をパーフェクトだと見なすことで、次に起きる出来事を肯定的に受け入れられるようにするのです。

自分が行った過去の行為はみなカルマ(業)となって、未来に苦楽の結果をもたらす原因となります。このカルマを否定的なもとの捉えると、未来の出来事も全てこの否定的なカルマの延長線上にできてしまう

そうではなく、現在に至るまでの自分を丸ごと肯定することで、これから先に起こることを自分がポジティブに受け止めていけるようになるのです。(略)

何かを否定して幕を閉じた状態で次に何かをしても、やはりカルマは続いているわけです。すると、また何か障害が起きたとき、同じような結果を迎える可能性が高い。ですから、変化すること自体は良いのですが、変化の過程で、過去の自分の行為を封印したり過小評価したりしないことです。

人生数十年も生きてると、誰しもそれなりの失敗は積み重ねてきていると思います。でも、失敗に対して何故後悔してしまうんでしょうか?

その時その時、ベストな選択肢を選んで決断してきたはず。「コレを選ぶと最悪の結末になる。だから、コレにしよう!」なんて人はいないはずです。

もちろん、決断に妥協したこともあったかもしれません。でも、それは自分の置かれた環境と耐えられる負荷レベルから換算して決断したということだと思います。それは、単なる妥協とは違うはずです。

もし、自分が最高の状態で最高の環境であれば、Aの選択肢を選ぶ。でも、現実から考えてベストな選択肢はBだ。というふうに選んだものではないでしょうか?もしそうであれば、それは「妥協」とはいいつつも、結局その時の自分にとってベストな選択肢を選んでいることになりますよね。

ベストな選択肢を選んだ。でも、結果は望んだ通りにならないことがある。そして、後悔する。これは・・・、おかしいですよね。

ベストを尽くしている。しかし、結果までは誰にもコントロール出来ない。なのに、どうして結果に後悔するのでしょうか?

「もし、本気出していたらもっと出来ていたのに・・・」というような言い訳をよく聞きますが、その時点で本気が出せなかったのであれば、それも含めてそれが本気の自分です。100%の自分です。

本気が出せたはず・・というのは、妄想でしかありません。事実としてそのとき本気を出せなかったのであれば、それが本気の自分です。

いつも100%の自分、本気の自分でものごとに取り組んでいるのに、みんな結果に後悔してしまうんですよね・・・。

でも、この種の悩みは、ヨガの考え方から言うと、『不要』です。

ヨガの考え方は、『自分を丸ごと肯定してOK!自己否定してたら、次の行動もその感情に引きづられるから、自己肯定OK!』というものです。これはある程度理屈が通っていて、しかも精神的に楽になる考え方ですよね。

結果にフォーカスするがあまり、結果に満足できなくて苦しんでいる人の助けになる考え方ではないでしょうか?

欲望に正直に生きる。しかし、モノには囚われない

経典には、「欲望をなくしなさい」ということとともに「同じことを続けなさい」とも書かれています。(略)

ヨガの実践では、自分の心の声に正直に生きることと、ものに囚われないようにするということ、この2つが同時に進むのです。

もし、自分の心の声に正直でありつつも、理性を持って行動できれば無敵ではないでしょうか?

大人になるほど、自分の心を押さえつけて理性的であろうとします。でも、そういう人は、自分の心に正直に生きている人にかないません。

自分の正直な心、正直な欲望。それを乗りこなす理性どちらも殺してはいけないということです。両方がバランスするからこそ、方向の定まった力が出せるということだと思います。

圧倒的不可抗力に柔軟に対応する

山を動かすのは大変ですが、山そのものに対する見方を変えるように、自分を変化させることが大切なのです。(略)

圧倒的な不可抗力に対して、自分を変化させられる柔軟性を備えている人の方がずっと強いのです。(略)

大切なことは、「変化していくもの/変化しないもの」といったことに対し、あまりこだわらず、どちらになってもOKであると受け入れる柔軟性を持つことです。

圧倒的な不可抗力なものとは、まさに「現実社会」そのものだと思います。

不確実性の中で生きるには、自分を変化させていく必要があります。適者生存です。

でも、自分を変化させるのは簡単ではありません。大河の流れに勝てるわけもないのに、逆らおうとしてしまう人も多いのではないでしょうか?

というのも、流れに逆らって生きることが美談のように語られることが少なくないからです。

本当は、流れに身を任せて生きたほうが楽に成果が出せて、自分にとっても人にとっても好都合であるにもかかわらず、その道を選ばない人がいますよね。

なぜか、流れに逆らい、身をすり減らし、玉砕する可能性が高いことを選ぶ。それって、ギャンブルに過ぎないんですよね。もしかすると、その選択の後ろには「復讐心」とか「反骨精神」があるのかもしれません。そういう、ある種、負のエネルギーはいつまでも続くものではないでしょうし、使う側も使われる側も苦しいはずです。

自分が生きやすいように自分を変える。この柔軟性こそ、生存確率を上げる考え方です。人生だけでなくビジネスにも応用できる考え方のような気がします。

呼吸をコントロールすることで、エネルギーをコントロールする

呼吸の意識的なコントロールが、活力に満ちて日々を生きていくのに欠かせない、エネルギーのコントロールに繋がる。(略)

呼吸で吸っているのは酸素だけではありません。宇宙、空気中に浮遊している「プラーナ」も吸っています。プラーナとはエネルギーの素のようなもので、ヨガでは生命力に欠かせないエッセンスがたくさん含まれているとされます。

プラーナというのは・・・よくわかりませんが、呼吸で心身をコントロールする方法は学んでおいて損はない気がします。

落ち込んでいる時に、「元気になろう!」と考えて元気になろうとするほど無意味なことはないですよね。「元気になろう!」と考えられないから落ち込んでいるわけですから。

でも、呼吸をコントロールすることで元気になるという方法は、精神論ではなく、体の仕組みをハックする方法です。外面から内面をコントロールする方法です。これはストレス社会を生き抜く上で、ぜひ習得したいヨガの技術の1つです。

エネルギーは、具体的な実感として存在する

日々の生活の中で、心が満ち足りて活力にみなぎるとき、または、気持ちが落ち込んで体力が低下しているとき、エネルギー(生命力、と言ってもいいでしょう)の存在を体感することはあるはずです。

エネルギーは頭で理解する抽象的な概念としてだはなく、心身で感じる具体的な実感として存在するのです。

この文章を読んで、ハッ!とさせられました。

個人的に、「プラーナ」とか「エネルギー」とか「パワースポット」とか、そういった科学的に説明がつかないものは、一切受け付けないたちなんですが、エネルギーの存在は・・・感じますね。

例えば、健康的な食事を食べて睡眠をたくさんとった次の日の朝や、適度に運動してシャワーを浴びた後は、体が軽く活動的な状態になっています。この状態は、身体がエネルギーで満たされていると言い換えても問題ないと思います。

「エネルギー」が本当に存在するものであれば、コントロールする方法もあって当然です。先ほどの呼吸のテクニックは、このエネルギーをコントロールする方法の1つです。

柔軟にする。力をつける。バランス感覚を養う。

ヨガのトレーニングで身につけるものは、自分の行動にあまりにも密着していて、脱ぎ去ったり取り替えることのできない体をできるだけ「柔軟にすること」「力をつけること」「バランス感覚を養うこと」、基本的にはこの3つです。

このうちどれが欠けても、ヨガの目指す最終的な一体感に向かっていくことができません。

一体感」という考え方は、西洋のトレーニングにはない東洋独特の考え方かもしれません。

例えば、ジムでヘッドフォンしながらランニングしている人の心と身体はバラバラです。体は一生懸命走ってはいるものの、頭は音楽を聞いています。心と身体に関連性がありません。意識が分散しているので、エネルギーも拡散してしまいます。

一方、ヨガのトレーニング(ポージング)の場合、外部からの情報を極力排除して、自分の体内に意識を向ける練習をします。このトレーニングを積むと、集中力が持続するようになります。

心と体の主導権を取り戻す訓練として、これほど適したものは無いかもしれません。

黒か白かではなく、バランスがあるだけ

世の中には厳密には同じ長さのもの、同じ大きさのものはありません。(略)

一見して同じように見える左右の手足も微妙に長さは違っています。(略)

では、違う長さの中でバランスを保つにはどうするかと考え始めます。こうして、物の考え方が変化します。「左右対称である/左右対称でない」という、黒か白かといった考え方のもう一歩先へ出ようとする試みが始まる。

完璧性気味の私にとって、この考え方はまさに天啓といえます。

1ミリたがわず完璧に整っているものなんて、この世の中にありません。でも、それを目指してしまいがちです。本当は「バランス」があるだけなんですよね。そのバランスが美しかったり、そうでなかったりするわけです。

『完璧』なんて存在していないのに、存在すると勘違いして手に入れようとするから疲弊してしまうんですよね。

一見、左右対称に見える人間であっても、心臓の位置は左にズレています。それが普通なんです。色んなモノが絶妙に組み合わさってバランスしているだけなんです。

完璧よりバランスさせることの重要さがわかると、受け入れられるモノの幅が広がります。許容できるものが増えるということです。つまり、完璧性から脱することが出来るわけです。

ときには相手に降参しなければならないこともある

降参というのは、ただ一方的に自分が負けることではなく、自分の知らない何事かを余裕を持って受け入れることです。そのためには自分をなくさないといけない。

「自分は絶対こうです」とエゴが強いと、柔軟な物の見方は身につきません。

自分を主張し過ぎて、相手の主張を聞き入れられないと、チャンスを逃します。

お互いに一歩引けば、もしくはお互いに一歩あゆみ寄れば、もしくは、自分が一歩下がりさえすれば、協力できたかもしれないのに、意固地になってみすみすチャンスを逃していることはないでしょうか?

エゴを通しすぎると、結局なにもかも自分一人でやるはめになります。それが続くと、一人ぼっちになってしまいます。最終的には、エゴをぶつける相手さえもいなくなります。

自分とは違う意見を持つ人や、異なる環境をこちらから積極的に排除してはいけないんですよね。自分からチャンスを切り捨てることになります。

他をコントロールしてはいけない。周囲に流されてもいけない

柔軟さを持って周りの状況をそのまま受け入れる。しかし、自分の意見はしっかりとある。そのバランスを保つことが大事です。

何もかも人の言うことを聞いていると、それは自分の人生を他人にコントロールされていることになります。その結果がどうなろうと他人は責任をとってくれません。これは忘れてはいけない重要な事です。

自分の人生は自分でコントロールしなくてはいけません。そして、世の中は自分一人の人生のために用意されているわけではないということも知っておかねばなりません。

だからこそ、周りの状況を受け入れつつ、自分の意見も通すバランスを保つことが重要になるというわけです。

シナリオをなくすことがストレスを無くすことにつながる

全てにシナリオをなくすこと、それがストレスのたまらない秘訣だと思います。計画を立ててることで、がんじがらめになってしまうから、ストレスがたまるのです。

物事の成り行きに合わせて自分が動いていれば、ストレスが溜まることはありません。

年末年始に年間計画を立てている人にとって、この考え方は到底受け入れられないのではないでしょうか?少なくとも、私は非常に抵抗感があります。

ただ、計画があるがゆえにストレスを感じるというのは事実です。計画がなければ、失敗も成功も存在しませんからね。

手に入れたい目標を手放すということができれば、このノーストレスの境地に立てるのかもしれませんが・・。なかなか体得するのは難しそうです。

自分の置かれた状況が理解できなければ、環境を変える

ストレスを回避するには、いま自分が置かれている状況を変えられるかどうかが問題になります。

変えられないとすれば、今の状況をうけいれるしかないことが理解され、現状でベストを尽くせばいいと納得できるはずです。

しかし、「なぜ私はそういう状況に自分自身を置いているのだろうか」という疑問にうまく答えられないこともあるでしょう。その場合は、いまの環境を変えるしかありません。

「こんなはずではなかったのに・・・。」と思うことはないでしょうか?でも、その否定したい現状は、今までの自分が積み重ねてきた行動の答えでしかないんですよね。

「こんなはずではなかったのに・・・。」と思っても、そうなるように行動してきてしまったわけです。だから、仕方がない部分があります。

でも、望まない現状を受け入れ続けているのだとすれば、即刻環境を変えたほうがいいです。

人間なんて、中身を変えようといくら思ったところで無駄なことが多いです。大抵の場合、意志力より、環境が自分に与える影響力の方が大きいです。

なので、「なんだかうまくいかない」とか「こんなはずじゃなかった」と感じるなら、思い切って環境を変えるというのは全然ありです。

環境を変えて自分を変えようとするのは、ズルでもなんでもなく、論理的な解決方法の1つです。

おわりに

  • 自分を丸ごと肯定する
  • 欲望に正直に生きる。しかし、モノには囚われない
  • 圧倒的不可抗力に柔軟に対応する
  • 呼吸をコントロールすることで、エネルギーをコントロールする
  • エネルギーは、具体的な実感として存在する
  • 柔軟にする。力をつける。バランス感覚を養う。
  • 黒か白かではなく、バランスがあるだけ
  • 時には相手に降参しなければならないこともある
  • 他をコントロールしてはいけない。周囲に流されてもいけない
  • シナリオをなくすことがストレスを無くすことにつながる
  • 自分の置かれた状況が理解できなければ、環境を変える

「ヨガから始まる―心と体をひとつにする方法」を読んで、完全にヨガをやろうというスイッチが入ってます。

筋トレもランニングもいいですが、60〜70歳を超えて続けていけるかというと・・・ちょっと疑問でしたので・・・。今からヨガに切り替えておいた方がいいかなと感じています。

投資信託と同じで、体も長期的に考えたほうが長持ちするはずですので。

単純に本を読んで自己流でやるのも悪くないかもしれませんが、変な癖や間違ったトレーニング方法を身につけてしまうと、後々修正しずらい気がします。

ですので、少なくとも初めのうちはヨガスクールに通ったほうがいいのかもしれません。それが困難であれば、DVDですかね。

とりあえず、私は心身ともにさらに健康になるためにヨガを初めてみようと思っています。

この本を読む限り、ヨガで今より心身のコントロール力は身につけられると感じています。ヨガ初心者の方におすすめの一冊です。