お金を稼ぐぞ!と思った瞬間、罪悪感を抱く異常さについて

Photo credit: joshrushing via VisualHunt / CC BY-NC-SA

Photo credit: joshrushing via VisualHunt / CC BY-NC-SA

『おもいっきり稼いでやろう!』

『圧倒的に稼いでやろう!』

『あいつより稼いでやろう!』

 

こういう想いを抱いた瞬間に、罪悪感が脳みそに覆いかぶさってくる。

 

なぜだろう?

 

後ろを振り返ると、暗闇の中の無数の目がこちらを凝視し、今か今かとキーボードの上に指を置いている。

嫌儲のネットユーザーたちに監視され、「お前だけ稼ぐな!」「引きずりおろしてやる!」と待ち構えられている気がする。

 

そんなにお金を稼ぐのは悪いことなのだろうか?この種の罪悪感は私だけのものなのだろうか?いや・・違う気がする。

日本の古典的教育を受けてきた人であれば、誰しもこの罪悪感をもっているのではないだろうか。

 

お金のことは話してはいけない。

お金だけが全てではない。

金儲けは悪だ。

 

この様なイメージに行動を支配され、世間体を気にして新たな一歩を踏み出せなくなっている

たとえ踏み出したとしても、同調圧力によって引き釣り降ろされるぐらいなら、初めから行動しない。そういった萎縮を生んでいる。

 

例えば、この同調圧力、引き釣りおろす側が幻想ではなく、本当に存在しているとして(私は確実に存在していると思うが・・)、そういった人たちは、私達の生み出すサービスや商品の購買者になるのだろうか?

むしろ、嫌儲なのだから「絶対買わない!あいつを儲けさせてなるものか!」と思っているだろう。つまり、お客になりえない人から攻撃されているということになる。

じゃぁ、無視すればいいじゃないかということになるが、ネット上では、少数であっても声の大きな人の意見が伝播しやすいので、全く無視もしにくいというのが現実。

 

しかし、この様な人たちを気にして、新しい価値を産んで、お金を頂き、それを元手に更に素晴らしい物を作っていく。というサイクルを作らないというのであれば、そんな人間に何の価値があるのだろう?

 

工夫せず、付加価値を生み出さず、ただただ労働しただけのお金をもらい、人生を終える。

それでは人間1人のエネルギー以外のモノは何も生産できない。世界は発展していかない。

 

それでいいというなら・・いいが、他人を引き釣りおろしてはいけないだろう・・。それに、あなたは貧乏で良くても、家族はよく思っていないかもしれない。

 

もう一度冷静に考えてみよう。

 

付加価値を生み出し、世界を発展させていこうとする側。

何も付加価値を生み出さず、さらには付加価値を生み出す側を引き釣り降ろそうとする側。

 

どちらが正しいのだろうか?

どちらも正しいというのであれば、あなたはどちらになりたいだろうか?

 

私やあなたが、彼らの攻撃に屈服し、平々凡々な生活を送ったとしても、家族を養えなくなったとしても、医療費が払えなくなったとしても、彼は何の責任も追わない。

逆に、圧倒的に成功し、望むもの全てを手に入れたとしても、彼らは何の責任も追わない。

 

つまり、自分たちは努力せず、極めて安全圏から攻撃し、相手を引き釣り下ろすことによって、相対的に自分の地位を上げようとしているのだ。

 

無論、こういう人たちの攻撃に屈服すべきではないのは当然である。なのに、お金を稼ごうと思った瞬間に罪悪感が襲ってくる・・・

 

これは、これまで受けてきた教育の洗脳でしかない。あらゆる手をつくして払拭すべきである。そうしなければ、世界に何の貢献もできずに終わる。

家族はおろか、自分自身の生活すら守れずに生きていくことになる。

 

だから、もし「お金を稼ごう」と思って、罪悪感や後ろめたさを感じたらすぐチャンスだと思って欲しい。

 

この方向であっている!

と。

 

少なくとも、価値あるモノを生み出そうと頭を働かせ始めたということ。そうやって、世界は良くなってきたんだから、私たちも先人たちに続き、受け継いだものを更に良くして、次の世代に渡していこう。

 

それが価値ある人間というものだろう。

自らすすんで、価値の無い人間になる必要はない。