ルールは必要か?

ノーカントリー-02

映画は本当にいいものです。ストレス発散になるだけでなく、いろんな示唆を与えてくれます。

単純に楽しみで鑑賞している時にハッと気付かされるときもあれば、気づきを求めて映画を見ることもあります。どちらにしても、有益な考え方を得られたときは、映画を見てよかったと思うものです。

さて、今回はノー・カントリーを見ていて気付かされた「考え方」の紹介です。

ノーカントリー-01 ノーカントリー-02

引用:ノーカントリー

狂気的で冷徹な殺人者(主人公)と、主人公を殺すように命じられた凄腕のヒットマンが対峙しているシーンです。主人公がヒットマンを難なく追い詰め、銃口を向けて淡々と話しかけています。

お前が従うルールのせいでこうなったのならー
ルールは必要か?

引用:ノーカントリー

私たちは、誰に頼まれたわけでもないのに、自ら自分に対してルールを作っていることがよくあります。

  • 自分の好きなことをする
  • お金のために働かない
  • 年長者を大切にする
  • 笑顔で生活する
  • 人の話を聞く
  • 親切にする
  • etc…

一見、どれも素晴らしい響きです。でも、それで今あなたは「幸せ」なのでしょうか?

 

たとえば、よく言われる「お金」のこと。

ミリオンダラーCEOが「お金のためじゃない」といっているからといって、あなたもそう考える必要はありません。その考え方で現在儲かっていないなら、なおさら考えるべきではありません。まずはお金です。お金がなければ生活できません。

 

「年長者を大切にする」。これもよく聞きますね。

誰もが年をとるだけで尊敬され、いたわられるような優れた人物になれるのであれば、これほど簡単なことはありません。本当は、ただ単に年をとっただけの老人もいるはずです。そういう老人の年金を支払っているのは若者です。さて、どちらが大切にされるべきでしょうか?

 

また、「自分の好きなことを仕事にする」というのもよく聞きます。

自分がいくら情熱を持っていようが、才能がなければ一生花開かないかもしれません。本当にその可能性を考慮してもやる!というならいいですが、お客さんは情熱的な人が作る粗悪な商品を選びません。情熱があろうがなかろうが、良い商品を選びます。

 

自分が「そうあるべきだ」と勝手に考えているルールなんて、実は誰かから吹きこまれたものか、狭い世界の誤った常識かもしれないんですよね。

 

「お金が全てではない」

発展途上国の10代の浮浪者に対してそういえるでしょうか?お金が全てです。お金がなければ食べ物は買えません。食べられなければ死にます。たとえ間接的であれ、死ねといえますか?

 

「動物を大切にしよう」

その通りですよね。犬や猫などのペットはもはや家族の一員と考えている人も多いのではないでしょうか?でも、その家族を食べる国もあります。日本人もクジラを食べます。タコも食べます。さて、どこからが動物でしょうか?なにが動物で誰がその位を決めていいのでしょうか?

 

「神の道に生きる」

それもいいですが、そうでない人もあなたと同じぐらい尊重されるべきだとは思います。神は特別なのかもしれませんが、あなたが特別になる理由とは別です。

 

特に日本人にとって、「従う」ことはある種の「ルール」であり、他の人と違うことをすると「怒られる」的な思想が強いと思います。でも、そのルールに従って、いま幸せでないのであれば、積極的に変えるべきではないでしょうか?

 

例えば、私はいまブログを書いているわけですが、私の中に「アダルトサイトは作らない」「個人攻撃しない」「ポジティブなことを書く」等のルールがあります。これに従っているつもりです。でも、PVは何十万〜何百万PVにはなっていないわけです。そうなって欲しいのにも関わらず・・・。

では、このルール、守る必要があるのでしょうか?誰にそうしろと言われたわけでもないのに。

もし、あなたも私と同じように、この記事を読んで「自分ルール ≠ 死守すべきもの」と気づいたのであれば、今こそ変えるチャンスかもしれません。

目的あっての考え方ですからね。今の考え方が、目的に導いてくれないのであれば変えるべきです。

私も「つまらない考え方」「勝手に自らに課している無意味なルール」は積極的に変えていきたいと思います。