【書評】どうせ死ぬなら、全て味わい尽くせ!by 死ぬときに後悔すること25

死ぬときに後悔すること25

正直、だらだらと何の目的も無く日々を生きている。 それでも、どうとでもなる豊かな日本で生まれて、その豊かさに汚染されて、危機感を抱かずに惰性で過ごしている毎日。これは何だ・・。明らかに人間的ではない。 何のやる気もないし、やったところで成功しないんだったら、初めからやりたくない・・ってな具合で、何のリスクもとっていない。 その上、自殺者が年間何万人と出てるってんだから、これは明らかに異常だ。異常に慣れてしまっている。 今こそ、自分の人生を取り戻さなきゃいけない。だって、死ぬんだから。どうせ死ぬなら、味わえるものを味わっとかなきゃ絶対後悔する! じゃぁ、死ぬ間際に何に後悔するのか?それは、実際に死に直面している人から聞くのがベスト。 「死ぬときに後悔すること25」を参考に、一つ一つ、自分が後悔しそうなことを今から消していこう。 人生の終わりに、ベッドの上で歯を食いしばって死ななくていいように。「ありがとう」と感謝を伝えて、笑って死ねるように。

死ぬときに後悔すること25 内容

死ぬときに後悔すること25 内容(「BOOK」データベースより) ほとんどの人は死を前にすると後悔するという。では、人生の最期にどのようなことに後悔するのか―?1000人を超える末期患者と正面から向き合い、その死を見届けた緩和医療専門医が、それぞれの患者が吐露した“やり残したこと”を25に集約。それらを参考にすれば、今から悔いの少ない人生を送ることができるのでは。「生き方」のヒントを教えてくれる大ベストセラー、待望の文庫化。   著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 大津/秀一 茨城県出身。岐阜大学医学部卒業。日本緩和医療学会緩和医療専門医、がん治療認定医、日本消化器病学会専門医、日本内科学会認定内科医、2006年度(現)笹川記念保健協力財団ホスピス緩和ケアドクター養成コース修了。内科専門研修後、日本最年少のホスピス医(当時)として勤務したのち、在宅療養支援診療所勤務を経て、現在東邦大学医療センター大森病院緩和ケアセンター長。多数の患者の診療に携わる一方、著述・講演活動を通じて緩和医療や死生観の問題等について広く一般に問いかけを続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 引用:死ぬときに後悔すること25  

死ぬときに後悔すること25 まとめ

作者も言っているけど、この本は「死ぬときに後悔する25」であって、「死ぬときに”後悔しないため”の25」ではない。 だから、この本で紹介されている25項目を全て後悔しないようにクリアしたところで、死ぬときに後悔する可能性はある。 なぜなら、価値観は人それぞれで、この本に紹介されていないことで後悔している人もいるし、紹介されていることで後悔しなかった人もいるだろうから。 でも、少くとも紹介されている25項目は死ぬ間際で後悔する人が多かったのだから、今から準備しておくべき。 わかっているリスクをあえて避けないってのは、意味分かんないからね。 だから、25項目中、自分が後悔しそうなことをピックアップしてまとめておこうと思う。

健康に気をつける

健康ってのは、風邪とか怪我とか、失ったときに大切さを知る。で、回復したら大切さを忘れる。生きていくうえで一番大切なものなのに、多くの人が健康に対する意識が低すぎる。(自分も含めて) 幸い、私は酒もタバコも嗜まないので、両方やっている人より健康上のリスクは低いかもしれない。けど、結局何が原因でガンや糖尿病になるかなんてわからない。実際、タバコを吸わない人でも肺ガンになる人はいる。 ガンにならないように生きるってのは難しいかもしれないけれど、実は話はもっと単純。 人間は食べたもので作られている。だから、食べるものに気をつければ健康にならざるをえない。 添加物やインスタント食品を控え、オーガニック食品を食べるだけでも十分今より健康になる。 また、健康診断や人間ドックも1〜2年に1回は絶対行くべき。「高額だから・・」って理由で避けてる人もいるけど、ガンになったあとの医療費を考えれば破格の安さだ。 めんどくさい?自分がガンになったあと、それをケアする人のことを考えてみればそんなこと言えないはずでしょ。 食べ物に気をつけ、定期的に運動し、健康診断を受ける。 たったこれだけだけど、気をつけなかった人は、数十年後に後悔する。文字通り、「死ぬほど」後悔する。だから、今から気をつけよう。

死ぬ前に、死んだ後のことを決めておく

死ぬ間際になると、思考することも難しくなり、意志疎通も難しくなる。 だから、健康なうちに財産分与や、そのたもろもろを処理してくれる代理人を決めておこう。 たとえ家族であっても、本心を理解できるわけではない。たまに「子供のことはわかります!」ってな、ヒステリックなママ、パパがいるが、まぁ・・・、傲慢だね。わかるわけ無いじゃん。サイコかよ・・・。 こういう両親こそ、死んだあと子供に葬式に来てもらえないかもしれない。人は、極限までくると何をしでかすかわからないし、永遠にどう思われてるかなんてわからない。 だからこそ、自分が死んだことで、家族や周りに迷惑が掛からないように、財産分与も葬式も自分で決めておこう。 相手が困らないように。自分の死後まで勝手に操作されないように。

治療に関しては専門家の意見を聞く

ガンやその他、治療が困難な病気になると、なぜか医者という専門家の意見を断固拒否し、スピリチュアル的なもの、宗教的なものにすがる人がいる。 私は無宗教で、どちらかというと何万人もの犠牲の上に築かれてきた医学の力を信じている。(むしろ、それを信じないのであれば、犠牲になった人々はなんのために死んだのだ?) だから、もし、回復の見込みが薄い難病にかかったら、素直に医者の言うことをきき、治療に専念しようと思う。 もちろん、医者も人それぞれなので、セカンドオピニオンをとるのは当然。いろんな医者の意見を聞いて、自分が望む状態へ持っていける治療方法を選べばいい。 ・・と、考えていても、実際、死に直面すると宗教に頼りたくなるのかもしれない。 絶対治るとか、魂が救われるとかいう、何の根拠もない言葉でお金をむしり取られるのはゴメンだ。重々気をつけようと思う。

やりたいことをやる

お金儲けとか、家族のしがらみとか、そういったもので、やりたいことを抑えこんで、他人の望む人生を送るいわゆる、「いいひと」は、死ぬときに後悔する人が多いそうだ。 自分に嘘をついて、他人のために生きて、そして死ぬ。一体、その人生に何の価値が有るのか? 自己犠牲も程々にすべき。そういう生き方では、日に日に恨みや憎しみ、怒りが増幅していくはず。 後悔しながら、人を恨みながら、怒りの中で死んでいくほど惨めなことはない。 やりたいことがあるなら今すぐやろう縛られているなら今すぐ逃げよう。 明日死ぬかもしれないんだから。

悪事に手を染めない

ともすれば、金や名誉のために一線を超えて悪事を働く人がいる。そういった人は、やはり死ぬ間際に後悔するようだ。 つまるところ、結局自分自身にウソはつけないということ。 悪いこととわかっていて行ったことに対しては、最後の最後で帳尻を合わせなくてはいけないんだろう。 許してくださいと懇願したところで、それを許すかどうかは相手次第。 であるならば、最初から悪いことはしないほうがいい。後悔の種を自分から巻くようなことはしないほうがいい。

感情に振り回されない

怒っても泣いても、最期は死ぬ。であれば、笑って過ごした人生でありたい。 そもそも「怒り」ってのは、相手と自分とが分かり合えるという前提があるから生じる。 別の人間である以上、価値観が違うんだから、考え方が違うのは当たり前。いつでも自分の思うようにコトが進むなんて考えるのは傲慢。 そういう人もいる。こういう人もいる。でも、自分はこう思う。 三者三様で、それぞれの生き方がある。 たまたまタイミングが悪かったから、怒っていたのかもしれない。生理的に相性が悪かったから怒っていたのかもしれない。 偶然でしかない一時の負の感情に、長いあいだ精神を支配されないようにしよう。

美味しいものを食べる

死が迫ると、身体機能が低下していく。味覚もそれを免れない。 例えむかし大好物だったものでも、美味しくない。砂を噛んでいるように感じる。 食べたくても食べられなくなるほど衰弱していき、最期はチューブからの流動食のみになっていく。 であれば、若いうちに美味しいものを出来るだけ食べておくほうがいい。 一生おいしい物を我慢して、食べたくても食べられない時になって後悔する。であれば、必死でダイエットに励んで何になる?美貌とは、そこまでして手に入れるべきものなのか? いまはネット上で喉から手が出るほど美味しそうなメニューを提供するレストランが、すぐに検索できる。 週一回、少なくとも月1回は、極上の食べ物を食べに行こう。 せっかく生まれてきたんだから、この世でそれぐらいの贅沢したって、誰も何も文句いわないでしょ?

行きたい場所に行く

日本に生まれて、日本以外を体験せずに死んでいくなら、何のために世界はあるんだろう? まだ見ぬ人やモノ、文化が手の届くところにあるのに、なぜ体験しにいかないんだろう? お金さえ出せば行けるなんて、実はとんでもなく凄いこと。 そういうことにこそ、お金を使うべき。 日本に縛られて、他の価値観を知らずに死んでいくなんてまっぴら御免だ。 人生を変えるのは、全て出会いから。 自分から求めて手に入る出会いが用意されているんだから、貪欲に体験しに行こう。 「ああ、イタリアに行ってみたかった・・・」なんて、人生の最期に言うぐらいなら、今行けばいい。行きたいのに行けないわけじゃない。行けるのに、言い訳して行ってないだけ。 (コミケにも・・一度ぐらい行ってみようかな)

結婚する。子供を産む。という選択肢をあえて避けない

結婚や子供を産むことは、人それぞれ。それを強要するのはよくないし、現代に至っては、結婚しないし子供も生まないってことが珍しいことではない。 ただ、死の間際になって、「結婚しておけばよかった」「子供を産んでよかばよかった」という言葉はあっても、『結婚しなければよかった』『子供を作らなければよかった』という言葉は聞かれないらしい。 であれば、あえて結婚しない。あえて子供を生まない。という選択肢は、頑なに守るべきものでもないだろう。 流れに身を任せて、チャンスが有れば積極的に結婚し、子供を産んでいいのかもしれない。 ただ、これはやっぱり人それぞれだし、たとえ両親であっても、それを強要してはいけない。 自分の人生なんだから自分で選べばいい。 何が言いたいかというと、「結婚や出産をあえて避けることは、もったいないことなのかもしれない」ということ。拒絶するようなことでもないんじゃないだろうか。 当然、軽々しく結婚するのはよくないけど、「この人だ!」と思える人がいれば、結婚してみても損はないのかもしれない。 (まぁ、結婚後のぐちはいろいろ聞くけどね・・・)

生きた証を残す

自分はこのために生きたんだ!というモノがない場合、その人の死は寂しい物になるようだ。 死とは、今までの人生の総決算なわけで、残酷に自分の人生を見つめなおすことになる。 例えばモノづくりに関わるクリエイターの場合、作品という目に見えるモノがあるが、サラリーマンで一生を過ごしてきた人にとっては、そういうものがない。 自分が何のために生きているのか?を毎日意識して生きないと、生きた証を残す事は難しい。 生きた証を残せようが残せまいが、毎日何のために生きているのか自分に問いながら生きよう。それは生を充実させることに繋がる大切なこと。

自分の哲学を確立する

先ほどの「生きた証を残す」と若干かぶるが、何のために生きているのか?』を明確にしておくことは大切。 無神論者の場合、いわゆる神、経典等に寄り添えない分、何のために生きているかを明確にしておかないと、死という荒波に襲われたときに自分の軸が激しく揺さぶられる。 そして、死ぬ間際に突然入信したりすることになる。実際そういう人が少くないようだ。 自分の確固たる信念、信条がないと、その時々の環境に振り回されて生きることになる。それはつまり、他人の人生に影響されて生きているということ。それは自分の人生ではない。 人生80年。その過半数を自分のために生きた。と言えるぐらいでないと、満足して死ぬことは出来ないだろう。 大学までの22年は、学生生活で親の影響下を免れないとすれば、残り58年しかない。 58年の中の22年を自分のために使ったとしても、他人とためと自分のための人生が半々。44年生きて、自分のためと他人のための半々の人生である。 残りは36年しかない。 老後は自由に身体は動かない。もちろん、明日死ぬかもしれない。 冷静に考えて、人のために生きている暇なんかないだろう。 今すぐ、自分はなんのために生きるかを明確にし、自分にとって充実した人生を送ろう。 自分が幸せな人生を送れば、自然と周りも幸せになる。 他人に支配された人生を送り、苦渋に満ちた表情をしていては、周りも不幸せになる。 自分のために人生を送ることは、他人の幸せに繋がる

おわりに

完全に後悔しないように人生を生きることは不可能に近い。でも、後悔の少ない人生にすることは、今からできるとりあえずお金を貯めなきゃ。とりあえず勉強しなきゃ。そういっているうちに、どんどん残り時間は減っていく。 はたと気づいた時、「自分は一体何のために生きていたんだろう・・」となってしまっては、残念でしかない。 「はぁ?」と他人に気味悪がられても、自分の信じる道を歩もう。 「自分勝手だ!」といわれても我道を行こう。 「自分勝手だ!」と言う人は、あなたが自分の思うようにいくはずだという思いがあったから、そういう発言をしている。そもそも自分勝手なのはどっちだ?という話になる。 自分を大切にすることは、他人の幸せに繋がる。あなたが幸せだと、まわりにもそれは伝染するんだから。 だからこそ、今すぐ自分のために人生を生きて、幸せの起点になろう